fujii mihaku 展              プライベートなヌード<back>    next>”上手” に勝る線

人物画像

 

人物の量感と存在感、そして艷やかさ

 fujii mihaku の作品を解説するにあたって、エコール・ド・パリの画家達の作品の話は欠かれません。 ところが、この絵に関しては、マティスを想わせるところがあり、エコール・ド・パリの人たちには見当たらない色使いですね。 人物の量感と存在感における ”踏み込み” が素晴らしいですね。

 絵と写真の違いについて・・・ 絵は ”嘘” だから、リアルに描かないと絵にならないし、写真は ”本当”だから、嘘っぽく撮らないとアートにならない・・・と言った人がいます。 まるっきり外れている話ではありませんが、かなり乱暴な言い方です。 そして、感性でモノを見る目がない人にとっては、とっても説得力のある説明にもなってます。 

 視覚について考えてみます・・・ 人物を見る際には、人の目は、顔を見たり服装を見たり、見る場所によって焦点距離や露出(瞳孔の開き加減)を変えながら、人物の姿を把握していきます。 ところで、写真は(焦点距離や露出を変えずに)一律に一瞬にして記録(把握)してしまいます。 それも、人は多くの場合、両目で把握しますが、写真は片目です。 写真は一瞬にして正確に記録するが、人の目は焦点距離や露出を変えながら見るので曖昧だ・・と言った人がいますが、これも、外れてはいませんが浅はかな認識です。 (嘘を描かない良心的?な)絵描きならば、見えたとおりにしか絵を描きません。 上の絵も、fujii mihaku には、「絵」のように見えているのです。 特別な工夫を凝らして描いているわけではありません。 同じヌードを前にしても、私なら、この絵とはかなり違った絵になりそうです。 同じ人類が見てるわけですから、物理的にはそれほどの差はないのでしょうが、 ”美意識” という回路を通ったときに全く違った変換がされると思えばよいのでしょう。 写真は、撮る時点でライティングなどによって美意識を働かせていかなければなりませんし、編集処理においても同様です。 個人的な見解ですが、モチーフを納得のいくリアリティーを備えた作品にするのに、絵を描くことと写真にすることのどちらが難しいか?と聞かれたら、私なら、絵にする方が楽だ・・・と答えます。 絵は見えた通りに紙上に記録することですが、写真は記憶に刻むように写し取ることです。 絵は創作するというよりも記録することに近く、写真は記録する前に(も後にも)創作しなければなりません。 「視覚」とはいっても、物理的な視覚とアート感覚を備えた視覚とは、その意味するところが全く違います。

 

 人物画像

 

 

 人物画像

 この人の作品はいつも魅力的ですね・・・そう思う私は、彼の数少ない理解者なのかもしれない。 ただ、以前にも増して、一般受けしなくなってきたようにも思う。 彼の作品の多くは、汚い色ばかり使って美しい絵にしている。 逆に、綺麗な色ばかり使って汚い絵にしてる人はいくらでもいるのですが。 汚い色ばかり使っても美しい絵になる理由を説明することはかなり難しいです。 クレヨンが並んでいるケースを見れば、誰にでも美しく見えるのですが、そのクレヨンに(並べ替えたり、紙に塗ったり)人の手を加えれば、途端に汚くなってしまう。 単色(原色)として綺麗だというのは確かにあるのだけれど、絵画の中での色合いは相対色なので、それはオーケストラのハーモニーのように、線や面を交えながら、絶妙な響きの中に美しさが生まれていくように思うのです。 また、そこにどんな色があろうとも、何らかの ”意味” があれば、その色は(その絵全体の中で)美しく見えるのです。 もし、色彩(の使い方)に悩んでいる人がいたならば、そのヒントとして、隣同士の色合いなどは全く気にしないことですね。 絵画全体を視覚に入れながら、自分の欲する(感覚が満たされる)色をそこに入れていくことだと思います。

 

 人物画像

 

 

 人物画像

 

 人物画像

 

 他人様の作品にコメントを入れることを躊躇ってしまうことがある。 それは・・・あくまでも自分の眼でしか作品を見ることはできないし、自分にしか見えないものもあるのだろうが、他人様には見えて自分には見えないところも多くあるに違いない・・と思うからなのです。 この世で、自分が感知・察知できることは、アートや美意識の世界に限っても、せいぜい3%未満に違いないと思えるからです。 私も描く人間なので、描く側と観る側には確実に壁・隔たりがあって、越えられないものもあることは十二分に想像がつく。 それでも、描く側は無意識に描いていても、観る側にはしっかり見えてしまうのもアート作品なのです。

 この絵に出てくる「眼差し」は何処かで見覚えがある。 私の知る人で、私は直にその人の眼差しを目の当たりにしているので、私には確かにわかる・・・誰の眼差しであるか。 そう考えると、何故その人を直に見たことない人がその人の眼差しをかけるのか!? これは驚きである。 この「眼差し」について、いつかそのことを本人(絵の中の女性)にも伝えたいと考えている。 「いつか・・」と言ったのは、男が女性にそのような言い方をすれば ”口説いている”ことにもなりかねないし、その「眼差し」と「自分自身」との隔たりがあまりにも大きいことを知っているからです。

 

 

 

”上手” に勝る線 美しいが怖い絵 私の好きな作品 感性は走る 絵の後ろに絵が見える

           fujii mihaku 展                   プライベートなヌード<back   next>”上手” に勝る線

Copyright higasi.com All Rights Reserved
email teh6452@gmail.com